未分類

僕のダメっぷりを見て欲しい

僕は

ダメ人間

※結構プライベートの写真ガンガン載せてますが、一部素材写真をお借りして使ってます。

 

ども、YOUです。

この記事では、僕が年商20億円の企業サポートや、月間数百万の利益を生むビジネスをポンっと作れるようになったこと。

そして、そこに到るまで、非常に狭苦しい生き方をしてきたことについて述べます。

Contents

自信がない人。お金にコンプレックスを持ってる人。頑張れ。頑張れば道は必ず拓ける。

さてではスタートです。

僕は阪大卒業後、会社員を2日でやめた。

新卒で入った会社を2日でやめたのだ。

こう書くと、だいたい過半数の人が「クズだな」というご意見をくださる。

が、それはそれでいい。特に反対する気もない。クズで構わない。

 

起業している人はだいたい賛同してくれるから。

「人生合わないと思ったら早めに損切りすることが重要だよ。最も重要な時間という資産を失わずにすんだね。賢明な判断だったと思うよ。」

とだいたいの起業家さんはおっしゃってくださる。

 

僕自身、この選択をすることによって、確実に道が拓けた。

社会人1年目で、年商3000万を超えるビジネスをMacbook1台で作り上げることができたのだ。

20代前半の若造。ほとんどバイトも経験したことがないようなガキンチョが、そんな結果を残せたのだ。もちろん、どんどんと収益も膨らんでいっている。

しかも、全国の飲食店や美容院、その他サロンや宿泊業、歯科医院、士業をしている人からコンサルをお願いしますと連絡が来る。

かつ、年商で20億やら30億やら、規模感の大きい企業のサポートにまで裏で入ることになっている。

まさかこんな結果が出るとは、正直、自分でも思っていなかった。

想像もつかなかった。

 

なおかつ、めちゃくちゃ働いているかと言われると、むしろめちゃくちゃ働いていない。

基本的に僕はぐーたら体質なので、ワクワクした瞬間にしか動かない。

ワクワクして、これやりたい!って仕事や案件が入ったときに、めちゃくちゃ動く。

そんな感じの人間である。

 

しかし、この話をして、

「こんなに華やかな結果を残している俺すごいでしょ?」

なんて事を言いたいのではない。

 

むしろ逆だ。

いかにビジネスを始める前の自分が、情けない男だったのか?

を知ってほしい。

 

今回言いたいのは、「諦めるな!」ということなのだ。

どんなに狭っ苦しい生き方、情けない生き方、妥協したような生き方をしていても、

確実に未来は開ける。間違いない。だから頑張れ!と言いたいのだ。

 

では、いかに僕がつまらない生き方をしていたか、お話するとしよう。

サラリーマンの父親のもとに生まれた。

まず、うちの家系について簡単に説明する。

うちは、

  • 父方の祖父(製造業社長)
  • 母方の祖父(不動産会社社長)
  • 父親(サラリーマン)

という3人のビジネスマンの姿をみて育った。結果、のちに父親も起業したので、うちの家系で起業してないところといえば、従兄弟(いとこ)くらいなものだ。親戚のおじさんも全員起業家だ。結構特殊な家系かもしれない。

ただ、僕がやはり毎日会っていたのは、父親だったし、祖父や親戚なんてそう頻繁に会ってはいなかったから、僕にとっての「ビジネスマン=父親のようなサラリーマン」というイメージがものすごく強かった。

 

そんな家系の中で育ったので、

サラリーマンと起業家と、両方を見比べてしまう。

じいちゃんの家は、大きな庭があり、庭の中に大きな山があり、なおかつニシキゴイが泳いでいた。

でもって、うちはめちゃくちゃ小さな一戸建てに住んでいた。

 

このギャップを常にみながら育ってきたのだ。

うちは、特別貧乏ってわけではない。むしろ、ちゃんと幸せに育ててもらっている。

だけど、あまりに起業家とサラリーマンの暮らしにギャップがあって、

僕はなんだかサラリーマンの家庭に生まれたことに、

コンプレックスに似たなにかを感じていた。

 

この頃から、僕は「お金がない」ということに関して、かなり敏感だったのだ。

ちゃんと幸せに育ててもらっておいてワガママなのかもしれない。

ドラマや漫画であるような「極貧生活」をしていたわけでもない。

しかし、気になって気になって仕方がなかった。

 

 

僕はものすごく人の目を気にするタイプの人間だった。

親からおもちゃを買ってくれることはあっても、自分からねだったことはただの1度もない。なぜかって、そんなことしたら嫌われてしまうかもしれないから。

 

僕は「遠慮する」=「美徳」だという価値観の中で生きていた。

なぜ、こうなってしまったのか?、明確にはわからない。

 

ただ、とにかく僕は人の目ばかり気にしていたのだ。

 

街にでかけるときは、自分がみられているんじゃないか、と常に思ってしまい、街で人混みの中に入ってしまうと、みられているストレスで頭が痛くなった。そのストレスでお腹が痛くなったりもした。過敏性腸症候群という病気らしい。

小学生編

おなかポヨポヨ問題が小4で起きる。

僕が特に人の目を気にしていたのが、お腹ポヨポヨ問題だ。

小学生って水泳の授業が結構頻繁にあった。そもそもクロールが最初できず、しかし周りはスイミングスクールに通っている友達が多くて、自由に泳げる子が多かった。

泳げないとかっこ悪いので、

親に頼み込んでスイミングスクールに入れてもらった。

側転の授業がある日は、できないとかっこ悪いので、土日に体育館にいって練習した。マラソン大会も、遅いとかっこ悪いし、好きな女の子にみられると嫌なので、1ヶ月前からしっかり走り込んでいた。

 

このモチベーションの根源はどこにあるのか?

すべて、人の目を気にしていたことからだ。

 

で、話を戻すと、水泳の授業。泳げるか、泳げないかという問題もあったのだが、とにかく僕がひたすら気にしていたのが、自分のお腹がポヨポヨだったということだ。周りの友達は結構いい感じに引き締まっているのに、自分のお腹にはすごくいい感じに脂肪が乗っている。

 

嫌だ。嫌すぎる。

 

僕は水泳の授業中、ずっと腹に力を入れたまま、引っ込めるように意識していた。

「お前、デブだな。」

こんなことを言われたら、僕はもう終わりだ。おしまいだ。

 

そんなこと、誰も言いはしないだろうけど、とにかく心配だったのだ。

それほどに自分に自信がなかった。

 

(この頃流行っていた、ダイエット教材に「ビリー○ブートキャンプ」というのがあった。ビリーズブートキャンプも家にあって、家族でやった記憶がある。ビリー○ブートキャンプって確か世界で一番売れたダイエット教材で、6000億くらい売れている。まさかこの頃は、そのビリー○ブートキャンプを売っていたマーケターが、将来、僕のところに「マーケティングを教えてください」と教えを乞いに来てくれるだなんて思ってもいなかった。

安い外食の安いメニューが嫌だった。コンプレックスだった。

小学校時代の一番のコンプレックスが、安いチェーン店へ両親と外食に行くことだった。うちの地元はそう大きな街ではない。外に食べに出かければ、結構高確率で、他の家の子と出会う。

 

うちの両親は、普通にサラリーマンだったし、年収もごくごく普通。

だから、そんなにお金があるわけではない。家も小さい。

 

だから、外食に出かけたはいいものの、それは必ずしも楽しい外食ではなく、

メニューの料金を気にしながらの、気を遣う外食だった。

そういう外食で、ばったりクラスの友達と会うのがとてつもなく嫌だった。

 

うちの親は子供にめちゃくちゃ甘い。だから大事にされているのもわかってる。

でも親は確実に安いメニューを選んで頼んでいる。

 

子供には好きなものを食べさせようとしてくれるが、

その分、自分たちは安いメニューにしようと心がけている。

それを、子供心に察してしまっていた。

 

すごくすごく優しい両親なのだ。

子供がとにかく優先。めちゃくちゃ優しいのだ。

だから大好きで大好きで仕方がなかった。今でも親のことは大好きだ。

 

だけど、「ちょっぴりお金がない」ということに関して、

コンプレックスだと思っている

自分自身がなにより嫌だった。

 

そんなこといいじゃないか。

愛してくれている。お金がなくてもいいじゃないか。

そう思っても、やっぱり気になって、コンプレックスで。。。。

そんな自分が嫌だった。嫌で嫌で仕方がなかった。

 

なんてワガママな子供なんだと自分でも思っていた。

友達の服はブランドもの。自分の服は商店街の安物。

僕が小学校4年生くらいから特に仲良くしていた「安田くん」という友達がいた。

ここのうちは、3階建てで、中も広い。二世帯住宅だから、広いのは当たり前なのかもしれないが、自分の家よりも広くて、遊びにいくときは、いつも「いいなー」と羨ましく思っていた。ゲームもたくさん持っていて、いつもよく遊ばせてもらっていた。あと、安田くんのお母さんが出してくれる、アイスミルクティーがなぜかめちゃくちゃ旨かった。

 

なおかつ、この安田くんという子は、

服も良いものを着させてもらっていた。

全部、「FILA」というブランドの服で統一されていた。

 

一方で僕は「bad boy」とかいう安いメーカーの服ばかりだった。

 

大人目線からしたら、「いや、どっちでもいいじゃん!」

と言われてしまうかもしれないが、

 

なんか「FILA」ってすごく憧れだったし、

やっぱりブランド服きてる子供って「お坊ちゃん」というか、上品なイメージがあって、

僕はすごくいいなーと思っていた。

 

ただ、うちがそんなにお金持ちじゃないこともわかってる。

子供なんてすぐ身長が伸びるから、

できるだけ安い服で。って親が思ってるのもわかってる。

 

というか、親も安売りの服ばかり着ている。

だから自分だけワガママは言えない。

だから、お母さんと服を買いに、いくときも、お母さんが選んだ安い服で納得していた。

 

ワガママ言ったら嫌われるかもしれないから。

いつしか、口癖が「大丈夫です」と「遠慮します」になっていた

 

そんなこんなで、

僕はいつも「お金がない」ということに対して

コンプレックスを抱いていたのだが、

とりあえず何も言わずにきた。全部我慢した。

 

だって、ワガママを言ったらきっと嫌われる。

もともと僕はすごくおとなしい性格なのだが、そういう「我慢する」という経験をしていくうちに、さらにどんどんと「遠慮しながら生きる」のが当たり前になっていった。

 

友達のお母さんに「ケーキ食べる?」とか「夕食食べてく?」とか「今日は泊まってく?」とかいろいろ言われても、絶対に断ってきた。

「大丈夫です。」

「遠慮しときます。」

これが僕の中での最強の言葉だった。

 

もしかしたら遠慮ばかりして可愛げのない子供だったかもしれない。

でも、「図々しいやつ」と思われて

嫌われるよりもよっぽど僕の中では安全策だった。

ちなみに、この癖は今でもあまり抜けていない。

 

常に提案されたら「大丈夫です」と言ってしまう。

(あなたはあまり参考にしないでください。もらい上手な人の方が圧倒的に上手くいきやすいですので。)

花より男子というドラマをみた。お金持ちに憧れた。金持ち=頭いいというイメージがあった。だから塾に入ろうと思った。体験入学したら、思い切り「バカな子ですね」と言われた。

小学校5年か6年のとき、花より男子というドラマをみた。

金持ちと貧乏人との恋愛ストーリーだ。

金持ちってめちゃくちゃかっこいいなとこのとき思った。

強く憧れた。

 

金持ちってすごくおしゃれで、余裕があって、人生を楽しんでいる感じがした。

僕もああなりたいと思った。

 

この頃から僕は将来、

どうやったらお金が確実に手に入るか?

を調べ始めるようになった。

 

家にあるパソコンは小学校4年くらいから使っている。

この頃から「金持ち」についてひたすらググりまくっていた。

 

で、どうやら最も確実に高収入になるには、、、

  • 医者になる
  • 弁護士になる
  • 高収入のサラリーマンになる

という3つの方法があることがわかった。

 

医者ってやっぱ金持ちのイメージがあった。

 

友達に「西尾くん」って子と、

もう一人、名前は忘れたけど笑、転校生の子、

それと「そうしろうくん」って子がいて、

その3人とも、親が歯医者を営んでいた。

 

そして、もれなく家がデカかった。

 

歯医者って儲かるんだ!

そんなイメージがあった。

 

だから医者だったらたぶんもっと儲かる。

 

けど、

  • 医者になる
  • 弁護士になる
  • 高収入のサラリーマンになる

いずれにしても、勉強しなきゃならない。

頭がよくなければ、なれない。

 

どうやったら頭がよくなれるんだろう???

 

そう考えたとき、同じクラスで「高良くん」という頭がいいやつがいた。

彼は、小学生のころから塾に通っていた。

 

「そうか、塾に通えばいいんだ!」

塾に通えば、頭がよくなって、きっと将来かっこいい金持ちになれる!

そしたらきっとコンプレックスも消える!

 

そう思って、僕は親に頼んで塾に入れてもらうことにした。

 

だけど、、、、

体験入学した塾で、模擬試験のようなものを受けたけど、

簡単にいうと、めちゃくちゃバカにされた。

 

悔しすぎて、問題を今でも覚えてる。

算数や数字がめちゃくちゃ嫌いだった僕は、

この「時計をみて、時刻を答えなさい」という問題がすごく嫌いだった。

答えられなかった。

 

そこの塾長に、「この学力はちょっと不味いですねー….」となんども言われた。

帰ってから泣いた。落ち込んだ。

親も我が子をバカにされて、キレていた。

 

またひとつ、僕の中でコンプレックスが増えた。

バカ

というコンプレックスだ。

中学生編

人の評価が欲しかった。目立ちたかった。だから勉強した。運動した。

さて、中学に入ると、学力テストというのが始まる。

うちの地域は、小学校が3つくらいあったのだが、それが全部いっぺんになる。

人数も増える。その中で、順位が出て、

何番目にバカなのか?という現実を突きつけられる。

 

僕はめちゃくちゃ緊張していた。

怖かった。

 

だって、2度とバカ扱いされるのはごめんだ。

もうこれ以上、自分にコンプレックスを抱えたくない。

 

さらに中学に入ると、部活動も始まる。

僕は小学生のときから興味があったバスケ部を選んだ。

 

めちゃくちゃ厳しい部活だったし、顧問の先生が鬼のように怖かった。

こんなに怖い大人に会うのは初めてだったけど、

愛情に溢れた人だった。

 

部活動も、スタメンなのか?あるいはベンチなのか?

結果が明らかにわかる。自分の実力がすぐにわかる。

 

だから必死だった。

運動音痴と思われたくない。

小学生、中学生、高校生ってやっぱり運動ができるやつがモテる。

そういう社会だ。

 

僕もソフトボール部にすごく綺麗で、好きな子がいた。

彼女のことをすごく意識していた。

だけど、きっと運動ができないってなると、好きになってくれないだろう。

(いやそもそも告白する勇気なんてないんだけど)

 

だからこそ、僕は必死で勉強もしたし、運動もした。

生徒会の議長になった。英語のスピーチコンテストに出た。学年でテスト1番を取った。バスケ部のスタメンになった。

もうほんとに、めちゃくちゃ頑張ったと思う。

 

いい高校にいって、いい大学にいって、いい仕事について、金持ちになるには、

とりあえず第一関門である、中学の勉強を頑張らないといけないし、

通知簿がよくなければならない。

 

オール5を目指して、

教師からの心象をよくすることに全力でコミットした。

 

土日はバスケに捧げたし、塾も通いまくったし、英語の勉強もした。

 

で、結果的に、生徒会の議長になった。頭がいいからだそうだ。推薦で決められた。

英語のスピーチコンテストに出た。頭がいいからだそうだ。これも推薦。

スタメンも見事勝ち得たし、テストでは学年で1位を取ることもできた。

 

英語の先生で、松本先生って人がいたのだが、

めちゃくちゃ僕に気を遣ってくれた。優しくしてくれた。

なぜって、勉強ができるから。

 

体育でちょっと擦りむいただけだったけど、

僕だけ特別扱いして、松本先生が授業を中断して、保健室に連れてってくれた。

 

他の生徒には絶対にそんなことしないのに、

かなりひいきされていた。

それもこれも勉強ができるからこそ。

 

僕はこのときから、

「知識=力である」と強く実感し始めていた。

 

なぜこんなに頑張っていたのか?

すべては、コンプレックスを払拭するため。

他人の目を気にしていたから。

ダメな子だと思われたくなかったから。

 

それが僕のすべてだった。

父親が3度の転職。倒れる。サラリーマンに絶望した。

中学に入ってもなお、僕は小学生のときの決意を曲げていなかった。

必ず金持ちになって、コンプレックスを払拭する。

かっこいい金持ちになってやる。

 

  • 医者になる
  • 弁護士になる
  • 高収入のサラリーマンになる

 

どれかにならなくはならない。

そう考えていた。

 

うちの父も実は、結構頭がいい。

完全に理系なのだが、頭の回転がいい。素直にかっこいいと思っていた。

だから、父と同じ、サラリーマンにも憧れていた。

 

高収入のサラリーマン。

かっこよくスーツを着て、

英語をペラペラと喋って、美女をつれて。。。。

最高にかっこいいじゃないか!サラリーマンもありだな!と思っていた。

 

しかし、父親は転職を繰り返していた。

こどもの僕にはあまり見せようとしなかったが、かなり苦しんでいた。

 

何回も転職をしていた。

上司に嫌なやつが必ずいるらしい。

どこの職場にいっても、嫌なやつが一人もいないという職場はないんだそうだ。

 

で、そういう環境で夜遅くまで働かなくてはならない。

父の心はどんどんと病んでいった。

 

また、その時同時に腰のヘルニアを患った。

僕も腰が弱い。

どうやらうちの家系は腰が弱いみたいだ。

 

で、ヘルニアのせいで倒れてしまい、

病院に運ばれ、入院することになった。

めちゃくちゃ激痛が走るらしい。

そりゃそうだ。一番太い神経が傷つくわけだから。痛いに決まってる。

 

父はベッドに横たわりながら、「大丈夫だよ」と言ってくれた。

が、本当は激痛が走っている。

なおかつ、「早く会社にいかなきゃ。。。」と言っている。

 

いやいや、無茶だ。。。

と思いながらも、めちゃくちゃ不安だった。

 

だって、家族にお金が入ってない状況だ。

もともと「お金がないこと」に関してめちゃくちゃコンプレックスがある僕からしてみれば、すごく不安だった。

 

母親がパートに出て行った。

うち、お金ヤバいんだ。。。。

 

コンプレックスだった安い外食さえなくなった。

服を買いにいくこともなくなった。

 

怖い。怖い。怖い。

お金がなくなるのが怖い。

 

父親のことを助けてあげられないのが悔しい。

 

なんだよ。。。

サラリーマンってクソじゃないか。

こんな脆いものなのか。。。。。

 

僕が目指していたサラリーマンってそんなもんなんだ。。。。と実感した瞬間だった。

高校生編

成績はクソだった。なおかつデブだった。

中学の勉強の甲斐あって、高校はそこそこの進学校に入ることができた。

ただ、当たり前だけど、中学のときよりも周りの連中のレベルが格段に高い。

勉強も運動も。

 

ああ、人間社会には階層があるんだなーと深く感じた。

上にいけばいくほど、環境もすごく精度の高いものになってくる。

 

よく「周囲5人の平均年収が自分の年収になる」という言葉があるが、

実際、環境の重要性が身にしみてわかった。

 

たぶん、このままエリートコースを進んでいくと、

周囲のレベルが高いから、年収1000マンくらいのサラリーマンに囲まれて、

自分も年収1000マンくらいのサラリーマン入りするのかもなーと思っていた。

 

ただ、レベルが高い分、追いついていくのに必死だった。

正直いって、僕は地頭がいい方ではない。必死こいて頑張って、なんとかレベル高い組に仲間入りさせてもらえる、っていうそういうレベルである。

 

高校三年間で、赤点を何回出したかわからない。。。。

というか、物理とかに関しては、たぶん最初から最後までほぼ全部赤点だった。。。

 

なおかつ、部活もバスケ部をやめてしまったので、めちゃくちゃ太った。

そりゃそうだ。摂取カロリーは今までのままで、でも運動だけやめたんだから。

 

デブで勉強ができない。

そんなレッテルが高校1年生のときに貼られた。

最悪の始まり方だった。

 

僕はせっかく入った高校だったのに、

コンプレックスがよりひどくなっていた。

児玉さんという女の子に惚れるが、、、、

高校三年生のとき、児玉さんという女の子に惚れた。

クラスのマドンナ的存在の子だった。

この頃には、僕も痩せることに成功し、というかコンプレックス解消のため、ダイエットを頑張りすぎて、めちゃくちゃ細くなっていた。断食しまくって、飯を抜きまくった。

 

だから、「デブ」ではなかったが、「バカ」であることに変わりはなかった。

 

加えて、残念なことに僕は女子とまともに会話ができない人間だった。

 

極度のあがり症なのだ。

大勢の人前に立つのは完全にNG。中学のとき英語のスピーチコンテストに出た時も、頭がまっしろになったし、ずっと足がガクガク震えていた。

 

女子と会話するのも、というか好きな子と会話するのも無理。

まず目がそもそも見れない。

僕はもともとめちゃくちゃあせっかきなのだが、好きなこと喋ろうとすると、手汗脇汗がやばいことになる。児玉さんと話すときもそうだった。

というかヤバいときは発作に近かった。

 

運動会とかもマジで嫌だった。

運動のレベルも非常に高いのだ。

インターハイとかいくやつがゴロゴロいるのだ。

みんな運動神経がよすぎる。

 

そんな中で僕がリレーに出なきゃいけなくなったりする。

マジで嫌だ。好きな子に見られたくない。

 

こんな惨めな思いをするのなら、高校なんて適当なとこ選べばよかった。。。

コンプレックスの塊がどんどん大きくなっていくのを感じた。

二重じゃない。鼻が低い。整形を考えた。人の目を気にしすぎて、完璧主義になっていった。そして、どんどん自分に自信がなくなった。

児玉さんという子を好きになってから、

自分の顔に対してコンプレックスを感じることも多くなった。

 

児玉さんは本当に可愛かった。

色白で、背が小さい。透明感がヤバい。

とりあえずなんか可愛すぎた。というかタイプすぎた。

 

それに比べて、、、、

僕は二重じゃない。奥二重だ。

しかも鼻も低い。

男としてランクはかなり低いはずだ。

 

しかもニキビもそこそこあった。

プロアクティブとか、色々試した。けど、あまり治らなかった。

 

ガチで整形を考えた。

整形して、自分に自信がもてるんなら、全然ありじゃないかと思った。

 

でも、整形したら絶対クラスのみんなにバレるし。

というか、金ないし。。。

 

湘南美容クリニックのサイトをなんども見ながら、、、、

コンプレックス直すのにも金がかかるんだな。。。。と思った。

ただ、クラスではいつも目立っていた。キャラを作った。とんでもなく派手なキャラを。

ただ、こう書くと、陰気くさいキャラなのかと思われがちだが、

僕自身は常にクラスの中心的存在でなければ気が済まなかった。

 

人の注目が欲しかった。

でなければ、コンプレックスにまみれた自分がさらに存在価値がなくなってく気がした。

だから目立とう目立とうと頑張った。ほんとはそんなキャラじゃないのに。

 

例えば、ある日突然、

花火を大量に買い込んだりもしていた。

で、学校にいきなり花火を300本くらいもっていったのだ。

そんでもって、「みんなで花火やろうぜーーーーーっ!!!」と誘った。

 

公園にいって、花火しまくったり、

なんかバカなノリで、コカコーラを頭からかぶったりしていた。

 

リア充っぽいでしょ?

でも、「ぽい」だけであって、心は全くリア充ではなかった。

 

幸い、児玉さんはそんな僕が作ったキャラを気に入ってくれた。

「田中くん(当時の僕の苗字)みたいな面白い人と付き合いたい」とまで言ってくれた。

 

ほとんど告白されたも同然である。

めちゃくちゃ胸が高鳴った。

 

だけど、僕からちゃんと告白することはなかった。

 

鼻も低いし、昔デブだったし、運動もできないし、バカだし、、、、、。

こんな自分と付き合っても、幸せになれるはずがない。

 

だから僕は絶対に告白できなかった。しなかった。

 

こういう話をすると、クソチキン野郎と言われるのだが、仕方がない。

コンプレックスの塊で、自分に自信が全くない。

それが僕なのだ。

見せかけのキャラで作った僕と、いつまでも友達でいてくれる人はいなかった。

僕は頑張って、クラスの中心的人物でい続けた。

みんなの注意をひき続けた。

 

だけど、、、、

中学を卒業したら、中学の友達は消えた。

高校を卒業したら、高校の友達は消えた。

 

ずっと連絡を取り続けられるような友達はいなくなった。

 

結局、僕は見せかけだけだった。

中身がないのだ。

 

僕が友達だと思っていた人は、

僕がクラスの中心人物だから、仲良くしてくれていただけだと気づいた。

 

クラスの中心人物と一緒にいれば、自分も目立てる。

なんだか、影響力を持った気持ちになれて気持ちいいのだ。

利があるからこそ、僕と一緒にいてくれていたのだ。

 

そんな浅い友達だから、卒業してしまえば、縁もなくなる。

薄々気づいてはいたが、僕はどんどん自分の存在価値がなくなっていくような気がした。

偏差値が40台だった。浪人した。

結局、「バカ」を高校在学中に直すことが

できなかった僕は、浪人生になることを決意した。

 

どうしても、大学選びだけは妥協したくなかったのだ。

だって、これで金持ちになるかならないか?

決まってくるような気がしていたから。

ここを妥協したら「お金」というコンプレックスが一生解消できない気がした。

 

はっきりいって、僕はものすごく要領が悪い。

浪人を決めたとき、僕の偏差値は40程度だった。

これはいかんと思って、名古屋の河合塾に入った。

 

しかし、僕はやはりバカだ。

河合塾のクラスの中で、

実は僕はドベから3番目にバカだった。

席順は、偏差値の順番だったので、めちゃくちゃ屈辱だった。

 

で、さらにバカなのが、

せっかく河合塾にいれてもらったのに、

授業をほとんど聞かなかったことだ。

 

自分でやった方が、早いんじゃないか?と途中で勘違いし出して、

授業をさぼり、自習室にこもった。

 

これでいいんだ!と自分に言い聞かした。

しかし、全くといっていいほど、成績はあがらなかった。

朝4時から夜10時まで勉強した。そしたら偏頭痛が発症して倒れた。

僕は完全に空回りしていた。

とにかく量が大事だと思っていた僕は、なんの戦略もなく、ひたすら勉強量だけを増やし続けた。なんて愚かな。。。。

具体的にいうと、4時に起きて、実家を5時に出て、電車に乗り、名古屋にあるマクドナルドへと足を運んだ。朝マックを食べながら数学やら国語の勉強をし、塾が開く8時までひたすらに自習。そして、塾の自習室が開いたらそこで夜10時までひたすらに自習。

当然ながら、クソみたいに眠かったし、正直効率もさがった。

 

そんな生活を数ヶ月続けているうちに、とうとう僕も倒れた。

偏頭痛になってしまったのだ。

頭がガンガンして、立っているのもままならなかった。

 

医者に行ったら、漢方をどっさりもらった。

治るものではないらしい。実際今も絶賛偏頭痛に悩まされ中である。

 

僕は本当に要領が悪い。何をやっているんだろうと自己嫌悪になった。

大学編

大学は見栄だけで選んだ。

そんなこんなで苦労したが、なんとか大阪大学に入ることができた。

だが、大阪大学もピンからキリまである。

僕は圧倒的に「キリ」の方。最底辺の方だった。

 

そもそも、大阪大学ではなく、一橋大学に入りたかったのだが、

センター試験でやらかして、本当に壊滅的な点数を取ってしまった。

 

そして、妥協せざるを得なかった。

で、英語がそこそこ取れてしまえば、

割と誰でも入れてしまうことで有名な大阪大学の外国語学部に入ることにした。

 

だから、「大阪大学なんてすごいですね!」

なんて言ってくれないでほしい。

 

雑魚も雑魚。超雑魚なのだ。

 

でも、有名な大学にはいれば、きっと高収入に近くに違いない。

そう思っていたので、学部なんてどこでもよく、とにかくネームバリューが欲しかった。

リッチマンプアウーマンに憧れた。フェラーリやランボルギーニに将来、絶対乗ろうと思った。

ネットで、リッチマンプアウーマンというドラマを見た。

天才的な金持ちのIT社長が、東大卒の貧乏女と恋をする、という話だ。

 

もともと僕は俳優の小栗旬さんがめちゃくちゃ好きなのだが、

この物語の主人公(日向徹)の役がめちゃくちゃかっこよくて、どハマりした。

 

やっぱ金持ちってかっこいいなーーーーってなった。

 

将来、絶対に金持ちになって、フェラーリやランボルギーニの高級スポーツカーを乗り回してやる!と思っていた。

(知識と情報を積極的にお金を払って手にしてきた僕は、フェラーリ、ランボルギーニがわずか月10万円程度で乗れる裏技があることものちに知ることになる。知識とは本当に恐ろしいなーと思う。爆発的な威力を発揮する。)

金持ちに近づきたかった。金持ち父さん貧乏父さんを読んだ。株を学ぼうとした。

リッチマンプアウーマンに憧れを持った僕は、金持ちになろうと改めて決意する。

僕がとりあえず読んだのは、「金持ち父さん貧乏父さん」という本だ。

起業したい!と思っている人たちの中ではかなりポピュラーな本である。

(ちなみに、この本の著者はロバートキヨサキという人なのだが、将来的に僕はこのロバキヨにかなり近づいたところでビジネスをすることになる。あまり詳しくはいえないが笑 自分が成長してくると、まさかこんな人と出会えるなんて!と思ってた人と普通に会えるようになってくるから驚きである。)

 

この本の中では、

  • Employee(会社員)
  • Self-employed(個人事業主)
  • Business Owner(経営者)
  • Investor(投資家)

という仕事があり、基本的に「経営者」と「投資家」しか金持ちにはなれないのだと解説されていた。だから経営者や投資家を目指そうぜ!って話である。

(あ、ちなみに僕はこの本が書かれた裏側と時代背景も知っているので、ロバートキヨサキがこの本の中で解説していない、めちゃくちゃ重要なことがありますし、これ知らないとみんな道を踏み外すんですが笑、解説しだすとどんどん逸れるので、「金持ち父さん貧乏父さんで語られていないけど、実はクソ大事な事項」に関してはまたメール講座の中でお話しますね。)

 

で、僕はこの本を読んで、

そうか!投資家になればいいんだ!

と思い、投資を学ぼうと思った。

 

そういえば、じいちゃんも「不動産会社の経営」と「株式投資」でがっぽり儲けていた。

 

であれば、僕も株式投資を学ぼう!と思って、ひたすら株の本を買いまくった。

30冊以上は買ったと思う。

 

で、株の研究を始めようと思ったのだ。

というのも、当時テレビ番組か何かで見た、「株の王様」みたいな人が、株をはじめたとき、株の本を100冊くらい読んだと言っていたのを見たので、それに習おうと思って、自分も本からまず研究しようとしたのだ。

(今思えば、本から学習をスタートするなんて愚の骨頂なので絶対にやらないし笑、とりあえずコンサルタントを雇うが)

こんな感じで、ひたすら読んだ本のノウハウをノートにまとめていた。

はっきり言って、いろいろと無駄だった。

まず、そもそも投資というのは、大きな資本があって初めてスタートラインに立てる。

3000万~ 5000万すらないうちに、

投資をはじめようだなんてちゃんちゃらおかしい。

 

さらにいえば、ノートにまとめるという学習方法は完全にクソである。

バカがやる勉強方法である。

結局、このノートは一回も見返すことなくお蔵入りになった。

愛犬が死んだ。たった3万円も出せない家族に絶望した。

さて、話は変わるが、この頃、僕の実家にいた愛犬が命を引き取った。

めちゃくちゃ泣いた。

そもそも、ちょっと前から病気にはかかっていたのだ。

 

両親は共働きで忙しいため、たまに愛知の実家へ帰った時、僕が代わりに病院に連れて行っていた。で、そしたら「病気の疑いがありますね」と獣医に言われた。

「3万円程度で精密検査ができますが、どうしましょう?」

と言われ、愛犬にゾッコンだった僕は瞬時に

「お願いします!」と言った。

 

しかし、家に帰ってそのことを話すと、両親に怒られた。

「3万って、そんなお金かかるの、勝手にやるって言っちゃったの?」

と怒られた。

 

僕からすれば、愛犬の命が3万で助かるかもしれないのなら、

全然安いと思うのだが、どうやら両親の見解は違ったらしい。

 

結局、検査は取りやめになった。

僕が自腹を切って、検査を受けるといったのだが、それも却下された。

 

そして数年後に、愛犬は死んでしまったのである。

僕は「3万円というお金が命に比べて大金なのか….」と絶望した。

もっともっとお金に対するコンプレックスがひどくなった。

玉ねぎの皮剥がし工場で働く。1日でやめた。

お金持ちになりたいとは思いつつも、もう少し現実を見なければならなかった。

普通に貯金がない。生活していくのも厳しかった。

 

そこで、バイトをしようということになった。

 

僕が経験した、数少ないバイトの中で特にひどかったのが、

玉ねぎ剥がし工場のバイトである。マジで悲惨だった。

そもそも最初は、派遣バイトで「誰でも簡単!軽作業」って書いてあって気軽に申し込んだのだが、やってみたらめちゃくちゃキツいバイトだった。

衛生面がかなり終わってる、汚い工場の中で、ベルトコンベアから流れてくるスーパーの買い物かご的なものから、ひたすらにこびりついた玉ねぎの皮を剥がしまくるという、苦行だった。

 

めちゃくちゃ先輩の作業員に怒鳴られながら玉ねぎの皮を剥がし続けた。

1つの買い物かごに少しでも時間をかけすぎると、

「それは剥がしすぎや」とか言われる。

逆にあまりにも剥がさないと

「剥がさなさすぎや」と言われる。

 

この作業を10時間くらいぶっ通しでやりまくる

という1日派遣だった。

 

もはや意味がわからない。

そもそも、この仕事、世の中に価値提供できてるんだろうか….??

 

見ると、周りの派遣バイトもめちゃくちゃきつそうな顔をしていた。

 

忘れられないのが、外国人スタッフと目があったとき、

「エンドレス・オニオン」と言われたことだ。

それだけ言われた。

なんなんだ…..エンドレスオニオンって……

 

このバイトで、稼いだお金は8000円程度。

交通費は出なかった。

 

完全に「労働」の奴隷だ。

時間を奪われ、金で釣られて働く。

金をエサにされて働く。

 

もしかしたら、僕がした仕事で世界のどっかの誰かが助かっているのかもしれないが、

別になくても問題ない仕事なのは間違いない。

玉ねぎの皮が少々ついていようがいまいが、それほど神経質に気にする人もいないだろう。

 

こんな仕事をして、一生を終えるのは嫌だな….と思った。

結局、そのバイトは1日でやめた。

彼女ができた。しかし、嫉妬しすぎて振られる。

さて、ビジネス人生が散々な僕だったが、晴れて彼女ができた。

めちゃくちゃ気分るんるんだった。

留学先で知り合った女性だった。彼女は旅人をしていた。

 

めちゃくちゃタイプってわけではなかったのだが、

大ハマりした。もう仕事なんてどうでもいいや!

と思えるくらいハマった。

 

ただ、彼女は旅人。僕は大学生。

当然ながら、遠距離恋愛になってしまった。

 

そして、旅先では彼女はいろんな男性と知り合っていた。

それをFacebookにひたすら投稿していた。

ブログにも書いていた。

 

そして、ある日の投稿で「なんか怪しい….」と思って

探ったら、なんと彼女は他の男と同じ部屋で寝ていた。。。。

 

めちゃくちゃ嫉妬心に燃えた。

暴言も吐きまくった気がする。

 

こんなに自分ってキレられるんだなぁと初めて思った。

それくらい、怒りが込み上げていた。

それほど本気だったってことなんだろう。

 

一緒に、ヨーロッパを巡った思い出が、めちゃくちゃつらい思い出に変わった。

グーグルフォトとスマホに入っていた、ほとんどの写真を消した。

だけど、いまだに彼女の写真を全ては消せないでいる。

 

楽しかった頃の写真を3枚だけ、フォルダの奥底に残している。

めちゃくちゃ憎かったけど、めちゃくちゃ本気で好きだったのだ。

なんだか、全部の写真を消すのはできなかった。

ブログを見つける。池袋に住むIT社長のブログだった。

さて、本当に僕はこれまでコンプレックスの塊だった。

「優秀なんだから自信持てばいいのに!」と言ってくれる人もいるのだが、そういう人はだいたい僕の表面しか見てない。本当の僕は、優秀でもなんでもない。

マジで要領が悪くて、のろまで、ダサい生き方をしてきた平凡人間なのだ。

 

そんなとき、とある1つのブログを見つけた。

今はそのブログもなくなってるが、当時、学生起業ブログランキングに掲載されていたブログだった。

 

早稲田大学を卒業し、ニートをし、その後起業した、というIT起業家のブログだった。

 

最初は

「へーーっ、こんな世界もあるんだなー」

という感じだった。

 

だけど、どんどんとのめり込んでいった。

なんか言葉にしにくいが、価値観がとにかく面白かったのだ。

 

例えば、学生団体向けにイベントサービスを打ち出していって、

それを販売していたりした。

 

そして、1日で10万円程度の収益を、サクッと出していた。

バイトで地味にしかお金を稼いだことのない僕からすれば、なんだかキラキラ輝いて見えた。

 

そしていつしか、大学から帰ったら、とにかくそのブログを読みふけることが僕の日課になっていた。

岡本さんという起業家に出会う。他人と違うことをして違う生き方をして、なんかカッコよかった。憧れた。これが僕が進みたい道だ!と思った。

そして、そのIT起業家の岡本さんという人が、セミナーで大阪に来てくれることになった。僕は興奮していた。

 

え、、、会えるのか……..

 

なんか最初はめちゃくちゃ怖かった気がする。

だってネット上で、僕が一方的に知っている憧れの人物とリアルで会うのだ。

 

ただ、あってみると、完全に普通のそこらにいる兄ちゃんだった。

 

自分のことを地味だ地味だと言っていたが、

渋谷にいけば、ストリートナンパばかりしているらしい。

しかもクロックスで。

 

なんか色々おかしい人だったが、やっぱ頭の回転が早い。

ビジネスの知識とか、そこらの会社員ではありえないレベルに達していた。

 

にも関わらず、必死に働いているわけではない。

自由に生きているらしい。

 

憧れた。

かっこいい。こういう生き方をしたい!と思った。

「ビジネス落ちこぼれ生」になった。

僕は結局、岡本さんの

コンサルティングサービスを受けることになった。

有り金全部、つぎ込むくらいの勢いでコンサルティングフィーを支払った。

 

まぁ、金がなくなったら、

最悪バイトでなんとかなる。と思っていた。

お年玉貯金をひたすら切り崩した。

 

あ、ちなみにめちゃくちゃ怖かった。

だって、そんな大金、払ったことがない。

怖いのは当たり前だ。

 

 

でも後に、僕は、

この自己投資に自分自身めちゃくちゃ感謝することになる。

これで本当に人生が変わったからだ。

 

 

ただ、結果からいうと、最初、全く結果が出なかった。

 

当たり前である。

だって、僕、IT起業するっていったって、

パソコンをまともに使ったことがない。

 

僕のパソコンの使い道といえば、

スナック菓子を食いながら、アニメを鑑賞することか、、、、

 

あるいは、夕食食べながら、YouTube鑑賞することくらい。。。。

いや、マジでそれくらいしか使っていなかったのだ。

 

よく、「YOUさんはもともとITができたんでしょ?」

なんて言われるが、とんでもない笑

 

たぶん、僕ほどパソコンを有効活用できていない若者も珍しいと思う。

それくらい、パソコンとか全然使ってなかった。

 

 

だから全然結果が出なかった。

Webサイトを作りまくったりしていたのだが、

ぜーーんぜん。

センスがなさすぎてやばかった。

お金を得るために必死だった。

ただ、コンサルフィーとして、

クレジットカードで47万円ほど支払ってしまった。

毎月5万円くらいが引き落とされる。

僕の銀行口座から、どんどんとお金がなくなっていった。

 

やばい。

これはやばいぞ。

 

ちょっとだらだらとしてしまっていたのだが、けつに火がついた。

人間、やっぱ鬼気迫るものがないと、成功しないなーと思った。

 

このときから、僕は必死にビジネスについて研究しだした。

 

岡本さんがかつてやっていた、

イベント事業についても教えてもらい、

それを自分も実行した。

今でも覚えているが、大阪の梅田あたりでやった。

 

1日で3万円程度だが、2時間お酒をパーっと飲んでいるだけで入った。

 

おお。できるじゃん。

 

そう思った。

一度、成果が出たら、いろいろと楽しくなってきた。

やはり成功体験は大事だ。

気合の入り方が変わってくる。

学び、学び続けた。

僕はそこからもひたすらに学び続けた。

やはりちょこちょこバイトはする必要が出てきたりしたので、

また派遣を少しやったりだとか、コンビニで少し働いてみたりだとかした。

 

で、稼いだお金はほぼほぼ全額、

ビジネスの教育費(勉強代)に費やしていった。

 

僕は絶対、将来的に、起業家として生きてやる、と思ったから。

とりあえず、ビジネスへの投資は惜しまずやっていった。

 

というのも、岡本さん自身、そういうスタンスだったから。

何百万というお金を結果が出てない時から、どんどん使っているみたいだった。

ようやくまとまった結果が出た。僕はやはり要領が悪いことが判明。

そして、頑張った結果、ようやくまとまった結果を出すことができた。

といえども、所詮、月収で10万~ 30万をうろうろするような収益である。

 

Webサイトをいくつか作ってそこから生み出したお金である。

 

岡本さんのコンサルを受けて、結果を出す人は、ほんとに2ヶ月とか、すさまじく速く結果を出していた。にも関わらず、僕は1年くらいかけてしまった。

なんて遅い。

なんて要領が悪いんだ。

 

たぶん、僕は作業量でいうのであれば、かなり頑張っていた。

だけども、結果が出なかった。

 

空回りしていた。

 

ただ、学び学び続けることで、だんだんとビジネスの本質を掴めてきた。

そして、短い時間でもまとまった結果を出せるようになってきた。

 

要領が悪くても、ちゃんと学んでいれば、結果は出る。

自分のすべてを注ぎ込めば、結果は出るのだ。

 

それがわかって、僕は嬉しかったし、

少額だが、利益が出たのは、僕にとって、かなり光が見えた。

 

あとは拡大すれば、会社員のお給料は軽く超えるだろうと感覚的に理解できたからだ。

だけど、就活しなければいけないらしい。会社員ひたすら嫌だったけど、とりあえず就活をしてみる。。。

ただ、時期的に僕はもう就活をしなければならないときだった。

周りはとっくにインターンとか頑張っていってたらしい。

僕は完全にそんなこと興味がなかったけれど。

 

親も「とりあえず就職したら?」

といってくるし、僕もビジネス一本で食べていけるという確証があるわけではなかったから、とりあえず就活は始めた。

 

ただ、全然やる気のない就活だった。

みんなはエントリーシートを何十枚も書くらしいのだが、僕は書いて数枚くらい。

しかも実際出したのはさらに少ない。。。。

 

どうしてもやはり会社員になることに抵抗があった。

8社くらい受けてみた。5社受かった。しかも経営幹部やってみないか?とまで言われた。なかには3年で100億以上稼いでた若手経営者もいた。刺激になったし、やはり輝いていた。

で、実際受けたのは、たしか8社くらい。

 

ただ、やってみると、意外と就活はおもしろい。

岡本さんも

「就職はしなくていいけど、就活はビジネスの勉強になるからやってみたら?」

と言っていたが、その意味がなんとなく理解できた。

 

僕はもっぱらIT系企業ばかり受けていた。

というのも、会社員やるにしても、将来につながるようなスキルを身につけて盗んでやろうと思っていたからだ。だから、起業家として成熟するまでのクッションとして、就職するのなら、ありかなーと思って、IT系の企業ばかり選んだ。

 

で、なにが面白かったって、

僕がこれまで岡本さんのもとで

学んだ知識が社会に通用するってわかったことだ。

 

人事といろんな話をしたが、かなり突っ込んだビジネスの話が多かった。

 

どんなWebサイト作ってるの?

どうやってマネタイズしているの?

どういう導線を狙っているの?

このコンセプトはどうやって思いついたの?

 

そんな話ばかりした。

 

とあるIT系の人材派遣会社は、きみ、社員として働くっていうのは、たぶんもったいないね。今度、うちの経営幹部が1人やめるんだけど、そこのポジション空くから、そこ興味あればいれてあげるよ?」

と言ってくれた。

 

年商で100億以上、パーっとあげているイケイケのスタートアップの社員と社長も、

「きみいいねー、即戦力になりそうだ。新卒とは思えないね。中途採用してるみたい。」

と言ってくれて、やけに気に入ってくれたりした。

 

俺が学んできたこと、全然通用するじゃん………

 

そう思った瞬間だった。

就活してみるけど、どこもなんか面白くなさそう。結局、田畑を耕しているだけにしか思えなかった。

たしかに、ビジネスができる人との会話はそこそこ面白い。

ただ、就活自体はやはりつまらなかった。

 

というより、会社で働くというのが、やはり退屈そうだった。

 

要は、ビジネスって全てのものに言えるのが、

「安く仕入れて高く売る」というのが基本だということだ。

 

カレー屋さんは、カレーの材料をできるだけ安く仕入れる。

そして、できるだけ高くカレーを売る。

だから、儲かるわけだ。

 

で、会社にとって、会社員というのは仕入れである。材料である。

にんじんとか、じゃがいもとか玉ねぎなのだ。

 

そして、会社はその材料を使って、利益を出していく。

 

ここでポイントなのが、

利益はどんどんと高く出すように会社は努めるが、

いかに高い利益が出ようとも、

基本的に、材料費はどんどん安くする方向に力が働く、ということだ。

 

つまり、どんなに業績があがろうとも、

会社員のお給料が増えることはほとんどない。

 

僕はにんじん、じゃがいも、玉ねぎのままでいいのか…..?

 

一生他人が作った会社の懐を潤し続ける。それでいいのか?

 

そう思ったら、ますますもやもやが増えていった。

一応、どこに勤めるか、決めた。これで40年拘束人生がスタートかー。ワクワクすっぞ。

そう思いながらも、とりあえず内定ももらっちゃったし、

とりあえず就職することにした。

大手のWEB広告代理店である。

月収100万を超える。200万も超える。ただし、売上がゼロの月もあった。

ただ、この頃、僕のビジネスの収益が100万~ 200万を超え出した。

なぜ、そんなにレベルアップしていたのか?というと、

簡単で、「お金」を「投資」したからだ。

 

お金がない人は、お金を増やしたいわけだから、

お金を使わずにどんどん節約する。

 

しかし、これはお金持ちのやり方に反する。

(別に節約自体はしていいんだけども、ビジネスに関する投資はひたすらやらなければならない)

 

岡本さんの教えに反するものだった。

だからこそ、僕は所持金がかつかつの状態で、とにかくお金を少しでも使って、ビジネスを伸ばそうとしていた。それが見事にハマって、利益がどーんと伸びたのだ。

 

この辺の戦略はまたメール講座の中で話すが、

ほんとにお金を少しでも多く使おうという意識があると、

利益はビビるくらい簡単にあがる。

 

そのことを岡本さんに学んだ。

ただ、とはいえまだまだ安定はしていなかった。

 

利益がゼロの月とかもあった。

だから就職はそのまますることにしたのだ。

 

僕は大阪→愛知(実家)→東京と引っ越していった。

上京したのだ。

社会人編

研修1日目、2日目、、、、ひたすら電話で営業をかけ続ける仕事。社員は可愛い子が多い。。。でも、なんかみんな仕事が退屈そう。仕事が終わったあとの休みのことばかり話している。

僕は浪人して、なおかつ留学までしているので、

新卒のみんなよりも2個くらい年上だった。

東京の会社ってみんなこうなのかわからないが、可愛い子がめちゃくちゃ多い。

 

なんか社員研修でワークショップみたいなのがあって、

チームで協力していろいろゲームをしたのだが、

可愛い子がほんとに多い。めちゃくちゃドキドキしたし楽しかった。

 

普通にミスコンで優勝してたりとか、かつてモデルしてたりとかしてた子がいた。

 

東京ってすげぇな。。。。

 

ただ、その子たちも仕事をものすごくつまらなそうにしていた。

というか、仕事の話をほぼ一切しない。

 

昼休みとかに話すのは、

「土日にPARCOいこうよー」とか「あの映画見た?」とかそんな話。

 

別にそれはそれでいいと思う。

息抜きなんだから。

 

でも、僕からは、週5日ある仕事をストレスにまみれながら頑張って、土日の休みは、仕事の疲れをひたすら癒すための2日間、という風に映っていた。

 

もしかしたら、これが社会人の常識なのかもしれない。

ここに違和感を持つ僕がおかしいのかもしれない。

数十年働き続ければ、苦しさやしんどさに慣れるのかもしれない。

 

でも、もう自由な生き方を見てしまった。

岡本さんの自由に生きて、爆発的な利益をちょちょちょいとあげる姿を見てしまった。

かっこいいと思ってしまった。

ああなりたいと思ってしまったのだ。

 

だから、仕事=つまらない

というのがどうしても僕は許せなかった。

嫌だった。

妥協したくなかった。

会社を2日でやめた。やっぱり無理。仕事は楽しくなきゃやっぱだめだ。覚悟を決めた。初めて「自分の人生」がスタートした。

だからやめたのだ。

会社を。

2日で。

 

「社会ってそんなに甘くないよ?」

と人事に言われた。

 

そんなことはわかってる。

 

ただ、その人事は起業したことがない。

経営者ってものを知らない。

ただ、僕は知ってる。

さんざん、経営者の考え方も学んできた。

 

だから振り切った。

 

それに、とりあえずここまで利益を出す経験をしてきて、

社員として数十年、働き続けるよりも、

起業した方がよっぽど楽だし楽しいことがわかった。

 

みんな、起業っていうと、食わず嫌いしてるし、

なんだか勝手にハードルが高いもののように思ってるけど、

大体の場合、それは知識がないからである。

 

学んでしまえば、いかに簡単に利益があがるかがわかる。

しかもいかに楽しいかがわかる。

 

スキーでもそうだ。

最初、クソ寒い山奥にいってまでだるっちいスポーツだなぁと思っても、

実際いって、やってみると、意外と楽しい。

そんなもんである。

 

起業もかなりゲーム性があるし、中毒性が高い。

普通にプレイステーションやってるよりも、どハマりする。

 

だから僕は覚悟を決めた。

確かに怖かったが、

人事に「すみません、もうやめます」と正直に自分の思いを告げたのだ。

とりあえず師をつけたい。コンサルティングを頼んだ。仲間が増えた。新しい知識がどんどん増えた。

さて、会社をやめてしまった。

せっかく買ったスーツは一度も使うことなく、押し入れに封印した。

 

心細くなったのもあるが、

とりあえずもっとレベルアップしなきゃ。

これで食ってくんだから。

 

もっと自己投資して、もっと磨きをかけなきゃ。

フルコミットしなきゃ。

 

そう思った僕はコンサルティングを新たに受けた。

 

もちろん、知識的にもかなりレベルアップしたし、

なにより、出会いが増えた。

 

いろんなレベルの高い起業家に会えた。

若い人から年配の人まで。いろんな起業家がいる。

 

こういうのが当たり前の世界があるんだなーと思った。

 

しかもみんな服とかめっちゃ普通w

失礼だけど、まったくオーラがない。

 

でも平気で1日にで数千万くらい利益をあげてたりとかする。

 

僕はめちゃくちゃワクワクしていた。

人脈が広がり始める。年商1億超えの占い師。年商10億越えの経営者。いろんな人がいるもんだ。え、芸能人も….?@ウェスティンホテル

さらにそこから僕はどんどんと人脈を増やしにいった。

ひたすら、成功者と会う機会を大事にした。

自分からお金を払いまくって、いろんな方に会ってもらった。

例えば、ウェスティンホテルのVIPルームで行われたシークレットセミナー。

周りはお金持ちばっかり。

セミナー主催者も、受付の人(この人は友達)も、お客さんもみんな金持ち。

しれーーーーーっっとみんな数千万~数億くらい稼いでいるらしい。

 

で、セミナー主催者の人と仲良くなって、お酒をおごってもらった。

ウェスティンホテルの最上階?のバーかなんかで。

(正直飲まされまくってほぼ記憶がない笑)

 

一杯、4000円とかするお酒をアホみたいに飲まされた。

 

しかもそのセミナー主催者は、全身、真っ白のスーツに身を包んでいて、

なおかつ全部、エルメスだった。

トータルコーディネートで数百万くらいするらしい。

 

そして、なんか変なノリになり、

「YOUくん、この時計つけてみたいかね?」と言われ、

「いや、興味ないっす」とはさすがに言えず、

なんか高そうな時計を、半ば強制的につけられた。

これも数百万円くらいするらしい。

 

あと、初めて東京にきて、芸能人にあった。

そのウェスティンホテルのバーで、芸能人のJ○Yが飲んでいた。

まじか。芸能人、やっぱいいとこでお酒飲んでんなーと思った。

 

まぁ、とにかく成功者のいろんな話を聞いた。

たくさん自己投資をして、たくさん成長してきた。

月収300万。自信がついた。自信がない僕にとって、最も大きなアイデンティティが「ビジネス」になった。

で、月収300万を超えた。

この頃からようやく、僕は自分に少し自信がつきはじめた。

 

お金というコンプレックスも

いつのまにか全くなくなっていた。

 

人は、なにか1つでも夢中になれるものがあると、

人生が楽しくなるし、なにか1つでも人に誇れるものがあれば、

胸を張って歩けるようになる。

 

別にお金があるから、自信がついたわけではない。

 

僕がこれまで歩いてきた道のりが、そのまま全部自信になったのだ。

 

僕にとって、「ビジネス」はもうなくてはならないものになった。

どんな趣味よりも楽しい。どんな旅行よりもたくさんいろんなものを見せてくれるものだ。

 

そもそも旅行好きな僕だが、

なぜ旅行が好きなのかというと、

非日常を経験できるからだ。

 

だけど、起業すると、旅行とはまた違った非日常を経験できる。

レベルが高い人と話ができる。

今まで触れてこなかった価値観に出会える。

 

正直、普通に生きてこなかったらありえない世界へと足を踏み出せる。

まじか。。。高すぎやろって値段にビビるような会員制のレストランに招待されたりする。

 

めちゃくちゃ楽しい。

 

人生が退屈な人は絶対にビジネスをすべきだと心から思う。

好きな時に好きな仲間と遊びに。好きなだけ海外旅行へ。

そしてとうとう、僕は憧れだった、

岡本さんのような暮らしができるようになった。

正直、そんなに働いてはいない。

でも、利益は普通にあがる。

 

経営をシステム管理しているから。

勝手に利益が上がり続ける。

だから、山梨から遊びにきたニートの友達と一緒に公園でひなたぼっこしていても、誰にも怒られないし、まったりとした日常を過ごせる。

 

よく使う、品川のマリオットホテルで、他の起業家やコンサル生とランチしたり。

 

僕よりも若い起業家の子に若者の遊びを教えてもらったり。

(なお、僕はビリヤードが壊滅的に下手だった模様)

雲がよく見える丘の上でパソコンをカタカタ触りながら仕事したり。

あるいは旅館でこもって、利益をバコーンとあげて、価値提供したり。

 

ヨーロッパの川で波に揺られながら、夕日を眺めたり。

 

大好きな雑貨屋巡りを楽しんだり。

 

海外のセレクトショップでショッピングを楽しんだり。

 

こういう生き方がようやく実現できた。

まぁ、ようやくとはいってるものの、そんなにめちゃくそ時間はかかってない。

せいぜい2年とかである。

月収500万。さらなる上を目指したい。仕事が楽しい。人に価値を提供できるのって楽しい。

月収500万も達成し、特に質素な生活をしている僕は、あまりお金の使い道もなく、またひたすらにレベルアップのためにお金を使う。

あとは新しくできた彼女にサービスしたりとか。

そんな感じである。

 

やっぱり人に価値提供できるのって楽しい。

別に綺麗事ではなく、喜んでもらってなんぼの世界だ。

 

どうだ、俺のコンテンツ一味違うだろう?

このサービスはビビッときただろう?

そんなサプライズを日々しかけたい。

 

僕はもともと人にサプライズするのが大好きだ。

僕が仕掛けたサプライズで人が笑顔になると、

ざまぁみろっ!!って思う。

それがすごく楽しい。

 

これを日々やっていくのがビジネスなのだ。

だからめちゃくちゃ楽しい。

人が喜んでくれる。感謝してくれる。

 

僕は天職に出会ってしまった。

たぶん、会社員として、企業の1パーツとして働いていたら、

この喜びにはなかなか出会えなかっただろう。

年商100億、油田所持者、プライベートジェット複数所持、島所持者、日本で指折りのマーケター。完全にバケモノに出会う。そしてメタメタにされる。

ただ、これで僕のビジネスが成長を終えるわけではない。

むしろ、これからなのだ。

 

とある寒い日に、

バケモノに出会ってしまったのだ。

 

日本一の花火大会をプロデュースしたりだとか、

誰でも知っているあの有名アーティストを裏で手がけてたりとか、

県の地方復興の代表者だったりとか、

油田をもってたり、

プライベートジェットをもってたり、

島をもってたり。

 

なんかとにかく今まで会ってきた人とは比べ物にならないバケモノに出会ったのだ。

 

そしてめためたにされた。

ボッコボコに言われた。

 

なんちゃってマーケティングはおしまいにしろと言われた。

僕はもっと成長したい。こんなもんで終わりたくない。10億、100億が当たり前の世界へ。

上には上がいる。

しかも結構ゴロゴロいる。

そんなレベル高い人、いないだろうと思ってたら、

めちゃくちゃな数いる。

 

悔しい。。。。というより、ワクワク。

やっぱこっちの方が大きかった。

 

まだまだ上を目指せる。

すごい人がいる。

僕はひよっこに過ぎない。

 

成長過程を楽しもう。

まだまだ退屈しない人生になりそうだなー。

そう思った。

最後になんか色々言いたいこと。

さて、めっちゃめちゃ長い自己紹介をここまで読んでくれてありがとうございます。

最後に僕から伝えておきたいことをいくつか。

お金は全てではない。なぜなら、いくらカネがあっても、それは安心にもならなければ、幸せにもならないのだから。僕は「経験と知識」こそ、最高の幸せをもたらすものだと思っている。

お金とコンプレックスが軸になっていた僕でしたが、お金は全てではありません。何百億あっても、少し資産が減っただけで自殺した人もいます。どんなにお金持ちでもお金が減ることに対して不安はあります。

そうではなく、知識と経験を最重要してください。

例えば、僕は、まったく不安がありません。なぜかというと、もうビジネスの組み立て方を学んでしまって、どれだけゼロになろうとも、何回でも復活できることが目に見えているからです。

貧乏は考え方まで貧乏にするな。考え方だけでも金持ち思考でいよう。

お金が人よりもない人、そこそこしかない人は、考え方をまず変えましょう。金持ち思考に寄せていってほしいのです。

結構、ビジネスのジレンマになると思うんですが、

お金がないからビジネスを始めたい

って方、かなり多いと思います。

まぁ、僕もそうでした。

 

ところが、どんなビジネスも100%、

お金を使わないとあまり伸びません。

だから、

お金が欲しいからビジネスしたいのに、

ビジネスをするのにお金がかかる

という二律背反に苦しむと思います。

 

でもね、さっきも言いましたが、お金だけじゃないんですよ。ビジネスって。

そもそも楽しいものです。だからワクワクしながらお金を投資してください。

ないんなら、バイトして作りましょう。

 

えー、お金使うのかーいやだなーって思いながら投資すると、

それってマイナスなお金の使い方になってしまいます。

 

ではなく、よっしゃーーこれからビジネス楽しむぞー

と思いながら、自己投資して、知識をつけていってほしいんですよね。

貯金がそこそこあるんなら仕事をすぐやめた方がいい。

1~2年くらい普通に生きられるだけの生活費と、

プラスして、ビジネスの自己投資に使えるだけのお金が50万~100万程度あるのであれば、もう仕事をやめた方が、結果出るのが早いと思います。

良いコンサルタントを雇って、ビジネスを教えてもらいながら成長する1年、2年にしましょう。それくらい学べば、確実に身になります。

結構、多くの方が副業スタートにしたがりますし、それはそれでいいんですが、やっぱ専業ほど時間はさけませんよね。であれば、最悪バイトすりゃ生きれるしまぁいいか、くらいの勢いで起業しちゃった方が結果は出やすいです。もちろん、副業でもいいですよ。でもちょっと考えてみてください。

仮に3億あったとしても、まだ今の仕事を続けるか?よーく考えてみよう。

さて、最後になりますが。。。。

あなたは3億あっても、まだ今の仕事を続けますか?

YESと答えたあなた、素晴らしい。よほどその仕事が好きなんですね。

NOと答えたあなた、そのままあとどれくらい仕事を続けますか?

 

起業家になってみるとわかるんですが、

どんどん上を目指したくなります。

普通にサラリーマンやってたら、そんな上昇志向の人いないじゃないですか。

でも、起業家って常にあがろうあがろうという気持ちが強いです。

 

だから、みんな上をみています。

で、やはりそうなってくると、自分の残り時間が気になります。

うわー、憧れの人、もうあそこまでいってる。

すごい、まだ若いのに。

 

え、、、自分もうこんな年齢だけど、

あそこまでたどり着くのに何年かかるんや。。。

って絶対に思います笑

 

だから早いに越したことはない。

 

それにやっぱり起業やビジネスは、

お金だけが得られるものじゃない。

 

さんざん、お金に関してコンプレックスだといっていた僕がそういっても説得力がないかもしれないが、ビジネスをすると、仲間も得られるし、いろんな世界がみられる。

お金を手にする前に、いろんな体験や知識が得られる。

 

ハンターハンターの名言、

大切なものはほしいものより先に来た。

ってこれは真実だなーと思った。

 

ぜひあなたもビジネスしましょう。どんな人でも、人生は変えられます。

ABOUT ME
YOU@年商1億円を作る方法
1993年生まれ/牡牛座/愛知県出身/大阪大学出身 WEBでゼロから1億を作る手法を教えている。 事業を作るスピードとノウハウは業界の中でもトップクラス。1ヶ月で1事業を作ってしまう。 大阪大学を卒業し、大手WEB広告会社に入社するも、2日で辞め、起業してしまう。その後、ビジネスを短期間のうちに軌道に乗せ、増収増益を繰り返す。 現在では、年商20億円企業の経営サポートから、美容院コンサル、歯科医院や飲食店コンサル、個人の起業・独立サポートまで幅広い経営戦略の立案を手がける。 その他にも、経営者・マーケター・プロデューサー・コンサルタントなどなど、様々な一面を持っており一言では説明できない存在である。 特に個人起業家のサポートには定評があり、ビジネスの基礎を作らせたら右に出るものはいない、と言われるほどビジネスの基礎作り・会社員の独立サポートは人気がある。 詳しいプロフィールと実績はこちら →https://you-ito.com/profile
ホムコン